大切な人の死について

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誰にでも平等にある「死」について考える

大切な人の死。

考えるだけで辛いです。

自分の中でその存在が大きければ大きいほど、失ったときの辛さはそれに比例して大きいのもになります。

長年連れ添った夫婦が、片方の死をきっかけに一気に衰弱し、後を追うように死んでしまったという話もよく耳にします。

 

ここでみなさんに質問があります。

あなたには、お互いの死を辛いと思える人がいますか?

 

どうでしょう。

頭に浮かんだ人はいたでしょうか。

  

相手の死はあなたにとって辛いものであり、あなたの死は相手にも辛いはずです。

事故や心中でもない限り、死が二人に同時に訪れることはないでしょう。

いつか必ず、どちらかがどちらかの死に直面することになるのです。

 

ここでアンケートです。

死はいつ訪れるか分からないし、先とか後とか選べるものじゃないけれど、ちょっと考えてみて下さい。

大切な人との死を考えたとき、あなたは次のどれを望みますか?

 

死ぬなら、大切な人より...

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もちろん正解はない質問だけど、僕が選んだのは「後に死にたい」でした。

大切な人の死なんて絶対に辛いものだって分かるから、もちろん経験なんてしたくないです。

でも相手も同じく辛いと思うことなら、僕は「大切な相手にこそ、その辛い経験をさせたくない」と思うんです。

 

「先に死にたい」を選んだ人も、僕と同じ「後に死にたい」を選んだ人も、それぞれ違った理由があるでしょう。

みんなは何を考えてどれを選ぶのだろう…。とても興味があります。

特別を大切に感じながら生きる

誰にでも「死」はすぐ傍にあるもの。

闘病や老衰など、死への心構えができるものもあれば、事故や心臓マヒなど、予期せぬ突然の死もある。

人は残酷なほど簡単に死んでしまうもの。そして命はとても儚いもの。

だから、

あなたの大切な人が、今あなたの傍にいるとしたら、それはとてつもなく幸せなことだと思う。

特別なことが毎日続けば、それは普通になってしまいがちだけど、大切な人が生きているということは、間違いなく特別なことなんです。

朝目覚めて、隣で妻が温かかったときの安心感。

妻を家に残して仕事に出かけるときの不安感。

家に帰ったとき、妻が笑顔で出迎えてくれる安心感。

  

こんな当たり前のようなことでも、僕はいつも特別に感じています。

特別なことだということを、意識するようにしています。

だって、必ずどちらかがどちらかの死を見届けることになるのだから。

絶対に避けられない、いつか必ず訪れる別れを思うと、今を大切にせずにはいられないのです。