調べるなら「意見」を持って調べよう

調べる

皆様ごきげんよう。今日は少しめんどくさいアバです。

今回の記事は、「調べる」ということについて、少し考えたいと思います。

 

初めて経験すること。理解できないこと。どうすればいいか分からないこと。

ほんと人生って疑問の連続です。

でもこの疑問があるから人生は面白くて、それを超えていく度に人は成長していくんだろう。

 

そんな疑問も、最近ではインターネットがとても身近になって、疑問があればいつでもどこでもスマホなどですぐに調べることができるようになった。

便利であるけれど、それは同時に人々から「熟慮」することを奪ったように思う。

 

何か疑問があると、スマホを手に取りまず調べる。

自分であれこれ考える前に、とりあえず調べる人もいるでしょう。

  

答えがあるなら、考えるより調べたほうが早い。

多数の意見にならっておけば安心。

自分の考えで失敗したくない。

  

こんな気持ちがあるのかもしれない。

調べるのはいいことだけど、その前にまず大事にして欲しいことがある。

それは、「そもそも君はどう思うのか?」ということ。

 

僕は何かを調べるとき、必ず自分の意見を明確にしてから調べる。

意見を持っていれば、「調べたこと」と「自分の意見」とで比較検討ができる。

なぜ自分はこう考えたんだ?

なぜこの人はこう考えるんだ?

なるほど、そんな考え方があったのか!

そんな思考や発見とともに、自分の意見がブラッシュアップされていく。

「調べたこと」が「自分の意見」を磨き上げてくれる。

考え方を成長させてくれる。

 

意見を持たずにただ調べただけでも、調べた結果の中であれこれ比較検討はできる。

でもそれは、ポンと差し出された他人の意見から「選択」する形になる。

選択することに自分の意思が働いているとはいえ、結局はどこまで行っても「受身」でしかない。

なぜかというと、他人の意見に対して意見する、というスタイルになるからだ。

自分の意見を他人の意見で磨き上げて答えを導き出すことと、他人の意見を元に答えを選択することは、似ているようで実は全く違う。

 

 

そもそも自分はどう思うのか?ということを疎かにしていると、自分から何かを「発信」することができなくなる。

まず他人の意見や出方をうかがうようになる。

話し合いの場でも、他人の意見を待ってしまうようになる。

自分の考えに自信が持てない生き方。

他人の考えが気になってしまう生き方。

誰かの意見に倣う生き方なんて、そんなの自分を薄めてしまうだけだ。

 

僕が言いたいのは、調べるということを「とりあえず調べる」にしないで欲しいということ。

  

他人の意見を全て無視するのは、それはそれでだたの頑固者になってしまうけど、他人の意見ばかりが気になってしまうのはあなたの個性が勿体無い。

これに限らず、とりあえずで起こす行動に自我は無いと僕は思う。

 

もうひとつ注意したいのが、インターネットに潜む危険。

GoogleやYahooなどの検索エンジンが、あなたが知りたいキーワードに関する情報を見つけてきてくれる。

あなたはその結果をどのように見ますか?

とりあえず検索結果1ページ目の上位にあるサイトを見るでしょうか?

「上位=よく見られているサイト」であって、「上位=正解の書いてあるサイト」とは違う。

検索順位なんていくらでも操作できるし、個人が運営するサイトのランキングほど当てにならないものはないです。

様々な情報操作が渦巻くこの世の中で、自分の意見無しに調べることはとても危険だと僕は思う。

その中で自分の意見というのは、ある意味「免疫」みたいなもので、数多くの情報を処理するためのフィルター的役割を果たすのでとても重要なんです。

 

というわけで、「とりあえず」調べる癖が付いてしまっている人は、些細な事でも調べる前に一旦立ち止まって、まず自分はどう思うのかを考えてみませんか?

調べるという漢字は、「」りが「」っていると書いて「調」です。

所詮は赤の他人の周りが言っているだけのこと。

一番大事なのはあなたがどう考えるかだと思いますよ。